東京高等裁判所 昭和41年(ネ)1886号 判決 1968年3月11日
控訴人 興亜火災海上保険株式会社
被控訴人 黒姫建設株式会社
主文
原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張ならびに証拠<省略>……………ほか、原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
理由
一、控訴人会社が損害保険を業とする株式会社であることおよび被控訴人会社所有の原判決添付目録記載の工場等が昭和三九年一一月一日火災により焼失したことは当事者間に争いがない。
二、被控訴人は、右の焼失物件については同年一〇月二三日控訴人会社の代理店である日通火災保険代理株式会社新潟支社柏崎支部長布施政城との間に保険金額四四〇万円、保険期間同年一〇月二八日から翌四〇年一〇月二八日まで、保険料九七、〇九六円とする火災保険契約を締結したと主張し、被控訴人はこれを争うから次にこの点を検討する。
(1) まず、右の政城が控訴人会社のため火災保険契約を締結する権限を有していたことは当事者間に争いがないが、同人と被控訴人会社との間にその主張のような火災保険契約が締結されたことを認むべき直接の文書上の証拠はなんら存しない。成立に争いのない甲第一号証の保険料領収証は火災発生後の昭和三九年一一月二日被控訴人から政城に九七、〇九六円が交付された際日付を遡らせて作成されたものであるから(この点は被控訴人の認めるところである)、これをもつてただちに右の契約成立の証拠となしえないことは当然である。
(2) 火災保険契約が諾成契約であつて保険料の支払または書類の作成をまたず、合意だけで成立することは、原判決の指摘するとおりである。しかし、火災保険契約はいわゆる附合契約であつて普通契約条項を含む性質上、一般民事上の合意と異り保険者は契約者から契約成立の証としてなんらかの有形的憑拠を徴しようとするのが普通であると考えられるだけでなく、保険者は火災保険約款において保険料の支払がない以上保険の責に任じないと定め、その実質においては保険料の支払と同時に契約が成立すると同様の取扱いをし、その結果保険料領収証の交付をもつて契約成立の証としているのが通常であり(以上のことは当裁判所に顕著であるだけでなく、成立に争いのない乙第四号証の損害保険代理店現行規定集によれば、保険者は保険代理店に対して契約成立と同時に保険料を徴収しその領収書を契約者に交付するように依頼していることが認められる)、成立に争いのない乙第一号証の控訴人会社の火災保険普通火災約款にも同趣旨の規定を設けている事実に徴し、控訴人会社においてもその例外ではないと解せられるから、本件当事者間において被控訴人主張のごとき火災保険契約が成立したと認めることは、契約が諾成契約であるとしても他に相当の証拠がない以上困難であるといわなければならない。もつとも、後に認定するように、被控訴人会社は布施との間に昭和三八年八月二二日から翌三九年八月二二日までを保険期間とする火災保険契約を締結しているけれども、この事実はいまだ右の結論を左右するものとはいえない。
(3) 原審および当審証人金子和正は昭和三八年一〇月二六日頃、布施に対し目的物件を特定して火災保険の申込をし、不動文字のみの記載ある申込書二通に押印してこれを同人に手交したと供述し、原審証人横田良三も被控訴人会社は申込書を布施に交付して火災保険に加入し、目的物件は特定していたと供述するけれども、それらの供述はいずれも抽象にすぎ到底信用することができない。また、右金子和正は本件の目的物件が特定していたからその保険金額も当然にはつきりするし、したがつて保険料もきまつてくると供述するけれども、目的物件が特定したからといつて保険金額したがつて保険料が契約当事者の合意を待たず当然に確定するいわれはない。本件において、保険金額、したがつて保険料が被控訴人と布施との合意により確定したという事実は同証人においても供述しないところである。なお、同証人および当審証人岡島春枝は、右金子と布施との間においては布施が昭和三八年一〇月末日までに岡島方に保険料を取りに行くことと定められていたと供述するが、右認定のとおり保険料の額がいまだ確定されていない事実に徴しその供述は信用しがたい。その他、被控訴人主張の保険契約が成立したとの右各証人の供述はその根拠薄弱で採用しえない。
(4) 問題は、前記甲第一号証がなにがゆえに作成されたかである。同号証の作成が本件の火災発生後になされたにせよ政城がこれに被控訴人主張のような保険契約の内容(契約成立の日を除く)を記載したことは、火災前その趣旨の口頭の合意が成立したためではないかとの疑問を生ずるからである。成立に争いのない甲第三号証に控訴人会社と被控訴人会社との間に本件物件を目的とする火災保険契約が存在する旨の記載があることについても、一応考慮を廻らす必要がある。次にこの点を検討する。
(イ) 成立に争いのない甲第一、第七号証、原審証人佐久間久実、同横田政義、原審ならびに当審における証人布施政城、当審証人石渡潔、同青木敏の各証言を総合すると次の事実が認められる。
被控訴人は、その所有の工場事務所機械設備木材等を目的とし、保険金額八六〇万円、保険料一四七、二〇四円、保険期間昭和三八年八月二二日から昭和三九年八月二二日までとする保険契約を布施を介して控訴会社と締結しており、右期間満了の頃、布施から、右契約を更新継続するよう求められたが、被控訴人(代理人金子和正)はその経営規模に比して保険料が多額すぎるから再考したいとして、これに直ちに応じなかつた。しかし、その後再三の交渉が行なわれて、ようやく昭和三九年一〇月二三日ころ、被控訴人は、目的物件を保険料が大体一〇万円以下の範囲にとどまるよう削減すること、保険料は同年一一月一〇日頃支払う予定なることを告げ、火災保険契約更改申込書に押印のみをして布施に渡した。しかし、保険の目的の範囲、したがつて保険金額、保険料の額については、ついに火災当日まで当事者になんの話し合いもなされないでしまつた。
前示のとおり火災が発生した日の早朝、布施は被控訴会社代表者金子芳の親族である岡島春枝他一名から保険料一〇万円を持参したから保険金を受領できるようにしてほしいと依頼され、一たんはこれを拒否したもののさらに執拗に懇願されて甚しく困惑したあげく、直ちに控訴会社高田出張所へ赴いて同所長代理佐久間久実と相談し、相伴つて火災現場に臨んで協議した上、前日までに契約が成立し、控訴会社の保険責任が発生したものとして事務上の処理をすることに決し、保険料九七、〇九六円、保険金額四四〇万円とし、これに見合う保険の目的を決定し、保険期間は、その始期を手続上可能な限度まで遡及させることとして、同年一〇月二八日から一年間として、前日の一〇月三一日付で保険料領収証を作成して岡島春枝に交付し、翌二日岡島春枝から金一〇万円を受領した。
(ロ) 布施および佐久間が内容虚偽の保険料領収証(甲第一号証)を発行することとした理由についての同証人らの供述は、必ずしも首肯せしめるものではない。すなわち布施は原審において日通火災保険の成績にしたいとも思つたためと岡島らから泣きつかれたためと述べ、佐久間は布施がすでに一〇万円を受けとつていると聞き違え、同人が被控訴人と控訴人との板挾みになつて困つているので、気の毒に思つたためと供述しているが、それらの事由は右の両名があえて違法を犯してまで虚偽の火災保険契約を仮装する理由としてその根拠が薄弱であるように思えないことはない。しかし、大都会と異り柏崎程度の都会における火災保険代理店に勤務する布施としては近隣との交際も相当親密なものがあると推察されるから、過去一年の間は火災保険に加入し、さらに保険金額を減額するとはいえ再び火災保険に加入すべく一応契約申込書を提出した被控訴人が、契約成立の予想される直前において目的物件が焼失したため保険金を入手しえないのは、情において忍びないと感ずるのも決して無理ではなく、かたがた代理店の成績をあげるため、岡島らの懇請に負け、布施の立場に同情した佐久間の同意をえてついに虚偽の保険料領収証を発行するにいたつたものとも考えられるから、右(イ)説示の認定は無理ではないと信ずる。
(ハ) 甲第三号証は日本火災海上保険株式会社の依額にもとづき鑑定人が火災後の昭和三九年一一月一七日作成した鑑定書にすぎないから、これによつて被控訴人と控訴人との間にその記載の火災保険契約が存在するものと認めなければならないものではない。
その他、本件全立証によるも、被控訴人主張の保険契約の成立を認めることはできない。
三、したがつて、その余の判断をするまでもなく、被控訴人の本訴請求は失当である。
よつて、右認定と異る原判決中被控訴人勝訴部分を取消し、被控訴人の本訴請求を棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 長谷部茂吉 鈴木信次郎 岡田辰雄)